<Q017>おかしな人間が受ける

<Q017>カウンセリングなんておかしな人が受けるものでしょう?

<状況と背景>
 この言葉を発した方は家族からカウンセリングを受けるようにしつこく言われ続けてきて、仕方なしにという感じで私に電話してきた人でした。その際に、上記のような言葉を発せられたのでした。
 他にも同種の発言をされた方々もおられるのですが、ここでは上記の方に応じるという想定で記述していこうと思います。

<A>
 この問いに対する私の正直な答えは、「どこからそういう情報を得たの?」というものです。でも、これではこの人の問いの答えたことにはならないので、次のように答えましょう。「決してそんなことはなく、むしろ、その逆です」と。
 例えば、自分の人生や生活に行き詰り、閉塞感を体験している二人の人がいます。Aさんは「私の人生なんてこんなもので、こんな生き方しかできない。死ぬまでこの生き方を貫こう」と考えています。もう一人のBさんは「今は辛い生き方をしているけれど、他の生き方もできるのではないだろうか」と考えています。
 また、人との間でトラブルが生じた時、Aさんは「あいつが悪い。あいつが何とかなればいいのだ。私は何も間違っていない」と考えています。Bさんは「向こうも悪いけれど、私の方も悪かった点があるし、私にも改善すべき点があるように思う」と考えています。
 さて、AさんとBさんと、あなたから見て、どちらがより「まとも」な考え方をしており、どちらがより「おかしな」考え方をしているように思われるでしょうか。当然、Bさんの方がカウンセリングを訪れる可能性が高いとは言えるのですが、Bさんはそれほど「おかしな」考え方をしている「おかしな」人のようにあなたには思えるでしょうか。

<補足と説明>
 この人が「カウンセリングなんておかしな人間が行く所だ」というような信念、偏見を日ごろから抱いておられるとすれば、極めて不幸なことだと私は考えています。なぜなら、この信念は多くのトラブルをその人にもたらしてしまう可能性があるからです。それは後で取り上げましょう。
 さて、この人がそのような認識をしているとすれば、家族から「カウンセリングを受けた方がいい」と言われることは、この人にとっては、「お前はおかしい」と言われているに等しくなることでしょう。この人が怒るのも理解できないことではありません。
 しかし、この人に限らず、同種の信念をお持ちの方もたくさんおられるということは私も知っております。「おかしな」の部分が、例えば「弱い」とか「ダメな」とかいう言葉に代わるとしても、こうした表現はけっこう私も耳にするところであります。
 個人が自分の思想を持つことは望ましいことだと私は考えています。この人がそのように考えているのも、この人の思想であり、それでいいと思います。個人の思想はその人が自ら変えていくものでなければならず、周囲から働きかけることは、いわば思想の強制となり、マインドコントロールと言われる行為に通じると思います。私はこの人の考え方を訂正しようなどという気持ちはありません。

 この人の考え方を変えるつもりは私にはありませんが、ただ、こうした思考や言葉を生み出している背景がとても気になるので、この場を借りて少し述べてみることにします。
「あなたはカウンセリングを受けた方がいい」と言う方も、「カウンセリングなんておかしな連中の行く所だ」と言う方も、どちらも人間を非人間化しているように私には聞こえてしまうのです。つまり、「壊れた機械は修理に出せ」というのと同じ文脈のものに聞こえるのです。もちろん、そう聞こえるのは私だけかもしれません。
 上記の仮定に基づくと、この人も家族の方々も、お互いに非人間化しあうような関係の中で生きて来られたのかもしれないと、そのように私には思われてくるのです。私の思い違いや考えすぎということであれば、それはそれでいいことなのですが、可能性としてはあり得ることだと思います。
 そして、もし、そうであると仮定すれば、この人は人間となるために、人間的な体験をするためにカウンセリングが必要となるかもしれません。

 さらに論を進めていきましょう。
 ある人の他者に対する見解や感情、態度などは、そのままその人の自分自身に対する見解や感情、態度と共通するという仮説を立てましょう、この仮説を支持する研究も少なくありませんが、常に一致するとも、全部一致するとも限らないので、あくまでも仮説ということにしておきます。
 従って、もし、この人がお互いに非人間化する関係の中で、それに違和感なく適応しているとすれば、彼はいたるところで相手を「非人間化」する言動をしてしまっていることでしょう。そういう仮説が成立するのです。自分が非人間化されることに同化しているように、他人を非人間化することにも同化しているでしょう。
 この「非人間化」というものは、分かりやすく言えば、いわゆる他者に対する価値下げや偏見であり、他者をスケープゴート化するということであります。
 彼がそのような世界に生きているとすれば、当然、彼が周囲と衝突する機会が増えることでしょう。それだけではなく、他者に対してそれをするように、彼は自分に対しても同じことをされてしまう恐れもあるのです。
 彼が他者に偏見の目を向ければ向けるほど、彼は他者からの偏見の目に敏感にならざるを得ないだろうし、彼が敏感になればなるほど、自分が偏見の目に曝されているという体験を一層繰り返してしまうでしょう。彼が他者をスケープゴート化するのであれば、同じように彼自身が容易にスケープゴートに同一化してしまうことでしょう。
 要するに、偏見やスケープゴート化することは、悪循環を生み出す傾向があるということなのです。ある人を差別すれば、自分が差別されるという体験に囚われてしまうことになり、被差別の立場から抜け出るためには新たに差別をしなければならなくなるわけであります。
 従って、この人が「愛」を経験する機会はますます失われてしまうのです。「カウンセリングなんておかしな人間が受けるものだ」という言葉が、彼がスケープゴート関係で生きてきたことの結果として既に表現されているものだと私は考えています。彼が「おかしな」人間だからカウンセリングを受けなさいと言うつもりは、私にはありません。彼が「愛」を経験しないからこそカウンセリングを受けなさいとは言いたいと思っています。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)