<Q009>再発しませんか?

<Q009>「再発しませんか?」

<状況と背景>
 抱えている「病」が当人にはとても苦しいのでしょう。しばしば「再発」を恐れている人と会うこともあります。中には最初の問い合わせでこの問いを発する方もおられますが、保証を得てからでないと動けないのだと思います。

<A>
 この問いを字面通りに受け止め、答えるとすれば、「私には分かりません」か、「質問する相手を間違えていますよ」か、「あなた次第ですよ」になるでしょう。
 この問いを発する人は、自分の将来を他人に尋ねているのであり、従って、「私には分かりません」という答えは、「その質問は私の能力を超えている」という意味です。
 自分の将来のことが見えるという人に本来なら尋ねてほしい質問です。だから質問の相手が間違っているということになるのです。だから予知能力者か占い師にでもするような問いだと思います。
 最後の「あなた次第ですよ」という答えは、質問者をさらなる不安に落とし込むことになるかと思いますが、これが一番事実であるように私には思われます。

<補足と説明>
 どんな病気であれ、再発の可能性は常にあるものだと思います。この可能性を消し去るなんてことは誰にもできないことだと私は考えています。
 そして、時には、再発することが望ましいと思える症例もあります。繰り返しその人はその問題に取り組むことになるからであり、それが必要だというような例もあるのです。
 しかしながら、一方で、こういうことも観察されるのです。一度でもその「病気」から快復した経験を持つ人は、再発を恐れなくなっていくという事実です。何度もそれに罹患し、その都度快復を経験すればするほど、その人は再発を恐れなくなるものなのです。自分の快復力に信を置くことができるようになっていくからだと思います。

 これは余談ですが、「再発しませんか」と保証を求める人たちと接していると、彼らは「病気か健常か」という二分法をされているような印象を受けます。この二分法を採用してしまうと、とかく「治療」というものは苦しい体験となってしまうだろうと思うのです。
 どんな「病気」であれ、そこには中間領域があると私は考えています。「病気」と「健常」の間の領域があるのです。つまり「健常範囲内の病気」と言えるような段階があると思うのです。「治療」は、まず「病気の範囲の病気」を「健常範囲内の病気」に導くことから目指されるものだと私は考えています。
 再発も、また、それを徐々に「健常範囲内」の再発へと収めていくものだと思います。「健常範囲内の再発」を目指していくと述べてもいいかと思います。
 先述の二分法をしているが故に、質問者にとって、再発とは常に同じ状態の繰り返しと映ってしまうのかもしれません。

<付記>
 以前、これを掲載した時に、何人かの方から新たな疑問や苦情を受けました。それについて補足しておこうと思います。
 ある人は、結局再発するのなら同じではないかと問い、別の人は再発するのならこのカウンセリングは意味がないと言いました。どうも私の書き方に難があったようですが、これらの発言はけっこう見当違いなのです。
 カウンセリングや「治療」ということと、「症状」が再発したり「問題」が再燃したりすることとは、本当は次元の異なる話なのです。
 再発や再燃が生じるのは、以前の「治療」によって決まるのではなく、今後その人の遭遇する人生上の諸困難や危機によって決まるものなのです。どんな専門家も、その人が今後どのような危機に直面することになるかなんて分からないのです。だから保証しようにもしようがないのです。
 もし、一度は回復したその人が、とても大きな危機に直面した時、やはりその人の心はダメージを受けることでしょう。これは避けられないことであると私は考えています。その時にまた援助を受ければいいのです。その際に、過去にそうしたダメージから回復した経験があれば、その経験はその人をかなり救うことになるということなのです。
 苦悩や痛みを自分の人生から一切締め出そうと試みることは、正直に申し上げれば、不可能なのです。生きている限り、好むと好まざるとに関わらず、私たちは危機を体験し、苦悩や痛みを抱えてしまうものなのです。生きるとはそういうことではないかと私は思うのです。
 従って、苦悩や痛みの再発から完全に解放されるというのは幻想に過ぎず、それは生の放棄を表していると私は考えているのです。
 繰り返しますが、将来の再発や再燃を恐れるよりも、今現在の回復を目指すことが何よりも肝要なのです。しばしば、今現在のその人の状態が、その人をして再発や再燃を恐れさせているということもあるからであります。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)