<Q003>「宗教ではないのですか」

<Q003>「宗教ではないのですか?」

<状況と背景>
 これも<Q001>と同様に、初めて問い合わせをされる方から、かつては時折発せられる質問でした。今では、このサイトを読んでくれるのか、この種の質問はなくなっています。
 この質問をされる方の多くは(全員がと言ってもいいのですが)、「宗教である」ことを恐れていらっしゃるようです。つまり、「そこが変な宗教団体だったらどうしよう」というような不安を抱えていらっしゃるように見受けられるのです。
実際、私の個人的な印象の範囲ですが、どこか恐る恐るこの質問をされる人が多かったように記憶しております。従って、この質問をされる方は、宗教を期待しているのではなさそうであり、宗教であることを恐れているということは言えると思うのです。
 以上を踏まえて、私なりの返答を掲載しようと思います。

<A>
 少なくとも、私のカウンセリングは宗教ではありません。そこには信仰する対象があるわけではないし、守るべき経典とか教義もないし、いかなる宗教的な儀式とも無縁だからです。帰依する神仏もなければ、拠り所となる経典もないということなのです。
 料金は設定されており、それ以外に請求することはありません。つまり、心付けだのお布施など、そんなものを請求することはありませんし、していただくつもりも私にはありません。
 また、開運グッズなどの販売もしていません。そんなことをするのがとても面倒臭い上に、そんなもんを売りつけるほど人間的に堕落していないと私は自負しているからです。

<補足と説明>
 非常に困ったことに、ある人がカウンセリングを受けようと決意されますと、その家族の人たちが変な宗教に凝り始めたものと勘違いをされて、その人のカウンセリングを何とか思いとどまらせようと試みたり、一方的に阻止を目論んだり禁止したりする事態が生じることもあります。
 この場合、その家族が有している「宗教観」が強く影響しているだろうし、その家族力動がそのような動きとなって表れているのだと私は考えています。
 確かに、宗教に基づいてカウンセリングを実践されている方もおられます。「仏教カウンセリング」を実践している人もありますし、「宗教心理学」という分野だってあります。宗教と心理学は、ある部分では、近親性があるのです。というのは、宗教が扱う問題と心理学が扱う問題とはいくつかの点で共通しているからなのです。例えば、自己、罪・罪悪感、孤独、癒し、心・魂の救済、死といったテーマは宗教でも取り扱われていることですが、同じように心理学でも取り扱われているテーマなのです。
 従って、同じような領域を扱っているということだけで、両者が混同されてしまうということも生じてしまうのかもしれません。つまり、重複するテーマのために宗教と心理学の同一視が生じているということです。もしそうであるなら、それは果たして正しい観点と言えるでしょうか。
 心理学と宗教、重なる部分もあるとは言え、やはり異なった学問分野であるので、その区別はつけておく方がいいと私は考えています。それらのテーマに対して、宗教は宗教的にアプローチするでしょうし、心理学は心理学的にアプローチするでしょう。この両者のアプローチで大きく異なる部分があるのです。その差異をよく見ていかれることを私はお勧めするのです。

 宗教とカウンセリングの違いの一つに自己を超越したところのものがあります。宗教では、私の印象ですが、あまりにも自己を超越したところに到達点を置きすぎているように思われるのです。それで、私のような素人にはどうしても具体性に欠けているように思われるのです。
 超越という言葉について補足しておきましょう。一つの比喩を用います。今、あなたはある資格を取得するために勉強中の身であるとしましょう。この時、今のあなたはまだ資格を取得していないのだけど、今のあなたから眺めると、資格を取得したあなたは今のあなたを超えた所にいるあなたということになります。到達点は常に現在のあなたを超越した所にあるということです。言い換えれば、到達する地点と現在のあなたの地点との間には開きがあるということです。到達点に至るということは、今のあなたから超越したあなたへと向かうことを意味します。宗教で言う超越を私はこのように理解しています。
 宗教では、それがあまりにも遠くにある、到達点との間に物凄い距離の開きがあるのを私は感じてしまうのです。たとえ、その到達点にあるものが真理だとしても、私には手が届かないほど遠くにあるように思われるのです。あくまでも、私の個人的体験なので、反論される方もおられるでしょう。それはそれで構いません。
 最終的に到達するべき点、超越点にあるものがいかに真理であろうと、それは私たちの日常生活から離れた所にあるという印象を私は受けるのです(実際はそんなことはないのかもしれないのですが)。
私の考えでは、カウンセリングはもっと身近な所のものを取り上げているのです。
 超越するということは、常に自己を広げていくことを意味します。そして人間は自己拡張していく存在であると私も思います。でも、私のカウンセリングでは、それをあまりに遠い所に設定したりはしないのです。これが宗教とは異なる一つの点です。
 そして、拡張するということを広げるというように解するとすれば、私の理想とするカウンセリングは、自己を広げることよりも、深めることを目指したいのです。外に向けての超越ではなく、内に向けての深化と言ってもいいかもしれません。
 私はとても内向的な考え方をすると自分でも思います。それにカウンセリングとはクライアントの内面を志向するものであると捉えております。なぜなら、人間は誰でも自分の中にあるものを活かし、それを伸ばしていくことが求められていると私は考えているからであります。従って、遠くにあるものに近づいていこうという発想が私にはあまりなく、自分の内側にあるものに目を向け、それを伸ばしていきましょうという発想の方が強いように自分では考えています。

 最後に、「宗教とは違うのか?」という問いに対して、私が困惑するところを述べておこうと思います。
 私が困惑し、返答が困難になるのは、質問者の言う「宗教」がどのようなものを指しているのかが不明瞭だという点にあります。
 実際、「宗教」という言葉は、それを使用する人間によって、意味合いが異なってくるものなのです。ある人はそれを「宗教」だと言い、他の人は同じものを指して「それは宗教ではない」と主張することだってあるのです。
 事実、「科学」は一つの宗教だと私は考えています。科学においては、例えば、物質はすべて原子の結合体であって、隙間だらけのものだと捉えられています。でも、私には物体を見ても、そうした隙間が見えず、あくまでも一個の個体としか見えないのです。
 物質が原子の集合体であり、実は穴だらけであるという主張と、「色即是空」との間に、どれほどの差異があるのだろうかと私は思うのです。
 だから、私にとっては「科学」は「宗教」であるけれど、他の人は「科学」は「宗教」ではないと主張するでしょうが、これは「宗教観」の違いに帰することができるものであり、おそらく、どちらが正しいといった決着のつく問題ではないだろうと思うのです。
 従って、私は私のカウンセリングは宗教ではないと信じていますが、人によってはやはりそれは宗教だと見做す人も現れることでしょう。それは避けられないことだと思います。

(付記)
 ここまでの3つの質問、「そちらはどういう所ですか」「そちらは医者ですか」「そちらは宗教ですか」はすべて質問者のある種の不安から発せられるものであります。質問者はその問いの回答を得ることで安心しようと試みられているのだと思うのですが、その人の不安の発生源がどういうところにあるのかが不明瞭であるために、私にはどのように考えていいか、お手上げになるのです。おそらく、この質問者たちにとってあまり役に立たない回答をしてしまっていると思います。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)